ライフロス

青空の下で赤ちゃんを抱き上げる夫婦

ウエイクアップ・伴想人のいっちゃん(市村彰浩)です。

昨年、『〈共働き・共育て〉世代の本音 新しいキャリア観が社会を変える』という本を読みました。その本によると、「ミレニアル世代」(30歳前後~40歳前後)の夫婦は、それまでの世代に比べ、仕事のためにプライベートタイムを犠牲にしたくないという考えが強いそうです。夫の多くが妻のキャリアアップも望み、子供と関わる時間を増やしたいと思っていて、実際に家事や子育てを夫が分担して「共働き・共育て」を実現しようと努力しているとのことです。素晴らしいことだといたく感心しました。

本を読み進めると、女性の「キャリアロス」に対する言葉として、男性の「ライフロス」という言葉が出てきて、ドキリとしました。ライフをロスする? 人生を失う?

女性の「キャリアロス」は、結婚・育児などのライフイベントを理由に、本人の意志とは別に職業的な経験や成長の機会を中断・制限されてしまうことで、出産・育児のために退職や時短勤務を余儀なくされたり、責任の限定された仕事に就かされ昇進・昇格のチャンスが減る、いわゆる「マミートラック」と呼ばれているものなどです。上司が「彼女は子育て中だから管理職は無理だろう」とか「海外出張は無理だろう」など本人に確認もせず「おもんばかって」チャンスを奪ってしまうケース、いわゆる無意識の偏見(アンコンシャス・バイアス)が背景にあります。

一方、男性の「ライフロス」は、この本では、「共働き・共育て」の観点から、子育ての苦労・喜びを味わう機会をロスしているという意味で使われています。「仕事が忙しいので」という理由で家事も育児も妻に任せ、朝から夜遅くまで仕事と夜のつきあいに明け暮れている間に、かけがえのない子供との触れ合いの時間を、楽しみも苦労も含めて失っていたということです。

読んでいて「これは自分のことだ」と気づき、さらにドキリとしました。家事はもとより、子育ても、たまに早く帰ったときは子供と風呂に入ったり、休日には一緒に遊んだりしましたが、ほとんど妻に任せっぱなしでした。小学校の入学式には出席しましたが、その後は大学まで、授業参観も卒業式も学校行事は妻に任せっきり。

「男の役割、女の役割」など当時(昭和)の社会通念、慣習など周りの雰囲気に流されて、本質的に大事なものに気づかずに過ごしてしまった面もありました。(実際、私の時代にもきちんと子供と向き合っていた人も少なからずいたと思います)

現在、私は、93歳で独り暮らしの母親の介護にかなりの時間を費やしています。
認知機能が衰弱していき、不可解な行動をするなど、なかなか面倒なことが増え逃げたくなることが多いのですが、「ライフロス」という言葉に出会ってからは、介護に向き合うとき、時々この言葉を思い起こします。幸い私は会社を退職した後なので、どうにか介護の時間が確保できていますが、在職中に介護に携わる人は、大変なことだと思います。「ライフロス」の問題は、子育てと同様に介護でも大いに考慮されるべき問題です。上司・同僚の理解や会社の制度上のサポートが求められます。

キャリアは、仕事をしている間の話ですが、ライフは死ぬまで続きます。子供や親以外にも妻、友人、趣味など、大切にしたいものがあります。人生の限られた時間の中で、今日という時間を何のためにどのように使おうか、改めて考えさせられます。