伴想人の長浜靖子(やっちゃん)です。
伴想人プロジェクトは5年目に入り、
6月にスタートした今期のオープンコースでは
15名の素敵な参加者の皆さんと共に
9ヶ月のジャーニーを歩んでいます。
メンタリングの場で、“やっちゃんは
こんな時どうしていましたか?”
と聞かれることがよくあります。
ご参考になればと私の拙い経験を
シェアするのですが、その都度、
はて?と考えてしまいます。
私が会社員生活を卒業し3年足らずの間でも、
世界情勢、ビジネス環境は
物凄いスピードで変化しています。
今必要なことは現役の方々が当然
よくご存知のはず。
もちろん似た経験をしたもの同士での
共感は生まれるし、それをベースに
信頼も築けます。
でも、だから?
最近こんな文章を目にしました。
“エルダーは経験がいっぱい詰まった
宝物を持っているというのは嘘だ。
そこには経験と一緒に誤りも混じっている。
大切なのは、
誤りもあることを認めていることだ。
経験というのはそれぞれの人が
自分でしなければならない、それを
財産のように受け継ぐことなどできないのだ”
そのとおり。では、どうすれば?
私は歌舞伎をよく観るのですが、
歌舞伎では、人間国宝の70代80代の役者と
若い役者達が同じ舞台に立ちます。
歌舞伎役者は幼い頃から
鍛錬を重ねていますので、年齢に関係なく
皆技術は身についているし、
身のこなしもセリフ回しも素晴らしい。
けれど老いた役者の醸し出すものは
明らかに違います。
圧倒的な存在感で、
舞台空間全体を高めていきます。
地に足がついた揺るぎなさ、
余裕、静けさ。
佇まいが美しいのです。
辞書には、
“佇まいとは、自然に感じられるさま。
そこにあるものが醸し出す、雰囲気や風情”
とあります。
人生を少し先に歩く者は、
その佇まいをもって次世代と繋がり、
過去の誤りも含めて
伝えるべきことをお伝えしてゆくことが
求められるのかと思います。
よき佇まいでありたい。
でも、どうやって?
古代インドの
人生の期(ステージ)という概念では、
キャリアや富を追い求める
“家住期”を終えると人は“林住期”に進み、
ここは、“過去の公私の義務から離れ、
本来の自己を生かし、自分をみつめ、
他人や組織のためでなく
自分のために時間を過ごす”
という時期だそうです。
自分もそんな時間を過ごせる
ステージに入ったことを、
一抹の寂しさもありながら嬉しく感じます。
今この時だからこそ、改めて
自分の中へ分け入り、成長の種を
見つけ育て、私らしい佇まいを
醸し出していきたいと思います。
そんなことを考えながらも、日々
鏡を見てはフェイスラインの弛みに
ため息をつき、あいも変わらず
美STなどの女性誌を貪り読み、
時の流れに抗っている自分がいます。
誰かいいアンチエイジングの方法教えて…
(嗚呼、自己矛盾)。