Out of sight, out of mind

ウエイクアップの山田希です。

3月決算の会社ではそろそろ期末の音が聞こえ、
今年を振り返りつつ、来期の予算や計画を立てる
時期に入ってくるころではないでしょうか。

私は生来の気質から言えば典型的に計画が
苦手なタイプでした。親や先生に言われて
試験前に試験勉強計画を立てていましたが、
一度も計画通りに物事が進んだことはありません。
それでもそれなりに結果オーライとなってきたので、
計画からますます遠ざかることになりました。
果たして計画という二文字は私の人生から
消えたかに思えました。

ところが大学院の時、改めて「計画」に
直面することになりました。
論文の目次建てを提出することになったのです。
しかもそこで合格しないと、論文の執筆を
始めてはいけない、というルールだったため、
頭を抱えました。

計画を立て、その通りに進めて書かねばならない。
人生で一度も成功したことのないことを
しなくてはならない羽目になったのです。

しかし追い詰められれば何かが開くものです。
何とかやり遂げることができました。
この時思ったのは、
「計画を立てることも、悪くはない」
ということです。

「計画」に向き合ったとき、私が何に対して
抵抗していたかというと、
「変えてはいけない」というところでした。
実際のところ「計画」=「変えてはいけない」
となっているわけではありません。
しかし私の中でそれが結びついている
ことが分かったのです。

計画を立ててその通り進められた時というのは、
なかなかの達成感があります。
自分にとっては努力や辛抱が実った成功体験であり、
かつ世間から見て実績として見られることも
少なくありません。

しかし失敗したときは散々です。
計画だおれ、想定が甘い、あの人は口だけだ、などと
言われるのみならず、実行力や決断力がないなど、
ビジネスパーソンとして負の烙印を押されかねません。
だからこそ容易に「変えてはいけない」
「達成しなければならない」というものと
結びついてしまいがちなのかもしれません。

しかし計画に利点があるとすれば、
達成したい結果とプロセスをイメージしきること、
そしてその過程で自分の思考や物事の見方の癖に
気づくこと、という点にあるのではないかと思います。

例えばシナリオプランニング、という手法があります。
私は一度だけ、その入り口に触れてやってみたのですが、
その際に感じたことは、いかに自分の中の
「想定とする背景事情や重要だと思える要素」が
とても狭く限定されたものとなっているか、
に気づいたことです。

書き出してみると、ものすごく曖昧なものしか
出て来ない部分があったり、もしくは
どこかで目にしたような、自分でも「陳腐だな」
と思うようなことしか出て来なかったりします。

「何を、どう見ているか」を書き出すことで、
見ていないものや想定に入っていないものの輪郭も
浮き彫りになってきます。

中にはあまりにも視野の外側にあって、
想定に入ってないことにさえ気づかない
こともあります。
それに向き合うだけでも計画の限界が
浮かび上がってくるでしょうし、自分や、
または組織に足りない視点が見えてくる。

この利点に気づいてからは、計画は
「何が何でも達成しなければならないもの」
ではなく、
「自分の無意識の前提に気づく材料」
に変わりました。

社会に出れば様々な計画が踊ります。
売上や利益、投資、人員計画に事業計画。
人生でも人生設計や家族計画、はたまた
老後の生活設計など様々な計画が存在します。

さてみなさんの計画との付き合い方は
どのようなものでしょうか。どんな計画と、
どのような関係性にあるのでしょうか。

ちなみに私の長年の計画友達はダイエット計画
ですが、いまだに「無意識の前提」の謎が解けず、
失敗を繰り返しています。
この解読はライフワークになりそうな
予感がしている今日この頃です。

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