ウエイクアップ・伴想人メンバーの
オグこと小串記代です。
4月、多くの物語が始まる季節ですね。
今年はそんな始まりを応援するかのように
桜の満開が重なりました。
近くの公園を歩きながら桜を愛でる、
何も考えずに季節の進む空気に身を任すと
心の余裕が生まれました。
自然の小さな変化に投げる眼差しや驚きを
大切にしたいと、あらためて思います。
時間に追われる私たちが、ふと
観照的になれる貴重なひとときです。
そんな思いを抱いて散歩から帰宅すると、
私の楽しみの一つである中国長編ドラマを
観ながら、さらにリラックス。
長編なので、まずは最終回を視聴し、
結末を把握してから安心視聴、それも倍速で。
これって心の余裕や驚きを大切にしたいと
言いながら、正反対の行動ではないかと
複雑な気持ちです。
数年前から言われるタイパ行動でしょうか?
タイパ(タイム・パフォーマンス)は
費やした時間に対する
結果の満足度と言われています。
タイパの背景には、
「あらゆることを効率重視で行いたい」
「自分が価値を感じることに時間を割きたい」
「話題の出来事にキャッチアップして
“いいね”する」等があるそうです。
Z世代でもないシニア世代の私なのに、
あらまぁ、若いのかしらと思っていたら、
このようなタイパ行動は世代に関係なく
見られる傾向があるそうです。
情報過多、外部から刺激を受け続ける日常、
その慌ただしい「休みなしの社会」が
そうさせているのかもしれません。
タイパは、社会環境が生み出した
トレンドなのかもしれません。
時間を意識して効率化する、大切なことに
時間を費やすために他の事を効率化する、
いずれも大切なことです。
「何のために」が明確であると、
捻出した時間は生きるはずです。
しかし、明確な目的もなく
タイパ的視聴をしている私の行動は
自分でも不思議です。
結末を先に知るのは、想像力や
登場人物の心の動きに共感する感情を
ブロックしているのではないか。
いや、クライマックスのお気に入りシーンは
何度も視聴することがあるので、
自分の感情の高まりは大切なはずです。
あれこれ考えているうちに気づいたのは、
私が倍速視聴する背景には、
登場人物に対して距離を置いて
見ているということがあるようです。
自分中心の視点で他人事に見ているのだと。
そこには制作者のきめ細かな意図や
登場人物の感情の動きといった
他者という存在を蔑ろにしているのでは
ないかと愕然としました。
それは、まるで情報として
ドラマを見ているようです。
以前は、主人公の気持ちを想像し、
自分には経験のないことが疑似体験として
心の奥に語り掛けてくる、
そんな往還作用を楽しんでいました。
費やした時間に対する結果の満足度は
高かったはずです。
当事者感覚がないから、自分事でないから
迷わずタイパ行動をとれるのかもしれません。
タイム・パフォーマンスのPerformanceは、
ラテン語のperペル(~を経て)と
formaフォルマ(形成物、完成物)が
組み合わさったものだそうです。
このペルは、「何らかのものを生み出す過程」を意味し、
フォルマは「その結果形成されたもの」を意味します。
パフォーマンスは「結果」と
結果を導き出す「プロセス」を
語源は示唆しています。
当事者意識があると
結果につながるプロセスには慎重になります。
タイパ行動を選択するか否かは
主体的に考えてこそ
時間効率は生きるのだと思えます。
時間に追われる環境にいるからこそ
時には、回り道や無駄に思えても
成長や未来の価値には欠かせない
機会や出会いが存在することを
心に留めておきたいと思います。
選択しなかったプロセスを
長い時間軸で振り返ってみると
実り多い回り道だと
気づくことがあるはずです。