伴想人の成瀬健志(ケンジ)です。
11月の前半に、福島の被災地を訪れるラーニングジャーニーに参加するご縁をいただきました。現地に数日滞在することで、復興に関わる方々との対話を通して多くを受け取りました。復興のご苦労や痛みに思いを馳せると複雑な気持ちになりますが、大切なお話を聞かせていただいたことに感謝をしながら、振り返りを書いてみます。
震災と原発事故から13年。周辺の大熊町では今もなお帰宅困難地域が残ります。
語り部の先導でお話を聞きながら、帰宅困難地域内を訪問しました。ご家族と自宅を失う痛み、それを忘れないかのように、被災した建物が時間を止めたように残っています。津波に流された自宅や田畑のあとには雑草が覆い茂り、荒涼とした光景が広がっていました。海岸に目を向けると、先月に完成したばかりの真っ白な防潮堤と青い海が広がり波が打ち寄せます。人間が築いてきた場所なのに人間の気配が全くない。沈黙する自然から人間の矛盾を問われているような気がしました。
帰宅困難地域内には、汚染土の中間貯蔵施設がありました。
帰宅困難地域外の福島全域から黒い大きな袋に入れられた汚染土やゴミが運び込まれて、焼却や放射性セシウムの分級処理をします。福島県のH Pを見ると「搬入開始から30年後となる2045年の3月までに、県外で最終処分を完了することが国の責務として法律に定められています」と記載がありますが、今現在、最終処分の場所は決まっていません。
語り部は、家族と防災と地球環境の大切さを促してくれました。
そして、それを忘れないために被災した建物や場所を遺構として残したいと。
次の世代へ引き継ぐ想いとして受け取りました。
隣りの富岡町では、帰宅困難地域が解除されて、古い街並みを壊して新しい街の
建設が進みます。町の人口は、旧住民の帰還者よりも移住者が多いとのこと。そして、常磐線の富岡駅から海岸に向けて、ぶどうの苗が植えられています。ワイナリーを夢みて頑張る地元の有志の方がいます。実現すれば、海と駅に一番近いワイナリーになり、その周囲に広がるぶどう畑の景色は圧巻でしょう。次の世代へと引き継がれて完成するプロジェクトです。その想いの強さに惹かれました。
自分に矢印を向けてみると、複雑な気持ちになりました。
前職では保険金の支払業務をしていたので、被災地や事故に遭われた方々に関わる機会がありました。復興の視点から見れば、それは始まりであり、その後に続く道のりは厳しくもあり、根気強く続ける想いが大事なのかもしれません。
新しい目で自分は「次の世代に向けて何をしたいのか」と問われた気がします。
現地に行くから感じる想いや感覚があります。
その余韻に浸りながら、大切に消化していきたいと思います。