ウエイクアップ・伴想人(ばんそうびと)の
チョロ こと 廣崎 淳一 です。
還暦近いオジサンが「チョロ」と
名乗っているので、名前の由来を
聞かれることがたびたびあります。
この名前は50歳を過ぎた時に
この先の生き方の方向性として
自ら名乗り始めたものです。
チョロは3歳の頃の自分の姿。
落ち着きのない男の子が
チョロチョロと動き回っている感じを
想像してみてください。
チョロはキラキラしたものを見つけたら、
気になって仕方なく
そこに駆け寄るでしょう。
それを拾い上げて見つめ、
お日様にかざし、匂いを嗅ぎ、
舐めてしまうかも知れません。
まだ3歳ですから自分の
好奇心や感情に素直ですし、
すぐに試したいのです。
そして、試したことは上手に
できなくてもいいのです。
だってまだ3歳なのですから。
CTIでコーチングを学び始めた頃は
JUNと名乗っていました。
外資ITやコンサルファームに30年勤め、
傲慢な言い方ですが
地位を得て勝ち組に居ました。
しかし、学びの場でJUNという名が
邪魔だと感じ始めていました。
JUNという名前には成功してきたという
妙なプライドがあり、
「できなかったら恥ずかしい」とか
「失敗したくない」と思っている
自分が凝縮されていたのです。
コーチングの学びでは
今までやったことがない事に挑むので、
できないことも出てきます。
例えば、「感情」や「身体感覚」を
使いましょうと言われます。
思考中心のビジネスの世界に居た自分は、
感情や身体感覚は心の奥底に
何十年も封印したままでしたから、
それらの感覚をすぐに
コーチングの場で使いこなすことは
できません。
できないことに直面するとJUNは
「ビジネスの世界では理路整然とした
やり取りが求められるのだから、
身体感覚など受け入れられない」と
屁理屈をこねます。
そんな自分と向き合う中で、
問いが湧き上がりました。
「この先の自分は
どう生きたいのだろう?」
その問いへの探索の中で
チョロという名前が降りてきました。
その存在は「好奇心」や「遊び心」に
溢れるもので、もともと自分の中に
存在していた小さな頃の自分。
しかし自分が成長するにつれて、
チョロという存在は
僕の奥底にしまい込まれて、
JUNの成分が優勢になったのです。
コーチングの学びを通じ、JUNが
チョロと久しぶりに再会すると
できないことに挑戦することが
恐怖から喜びへと変わったことに
気づきました。
経験がないことを理由に避ける
のではなく、まずはやってみることで
今までできなかったことが少しだけ
できるようになり、その喜びを
味わう経験をしました。
それはコーチングだけでなく、
私生活にも変化をもたらしました。
例えば中学の頃から憧れていた
ロックギターを始めたのです。
以前の僕ならば、50歳を過ぎて
何を今さらと、
気持ちを封印していたでしょう。
憧れのギターを買い、
レッスンを受けながら、好きだった曲が
少しずつ弾けるようになるのは
本当に嬉しく、楽しいものです。
さらに、僕がギターとボーカル、
妻がキーボードとコーラスで
二人でステージに立つなんて
夢のようなことも体験できたのです。
では、JUNという存在は誤りの
自分で、もう不要なのでしょうか?
そうではなく、JUNもチョロも
どちらも大切な存在です。ただ、
人生のステージが変わる中、この先は
チョロの成分を少し強めに意識して
生きたいと思っています。
そしてJUNはいざという時の
バックアップとして今は少々ゆっくり
してくれたら良いなと思います。
必要な時にはまた声をかけるので。
これが名前を変えた僕が経験した
物語です。
さて、あなたは自分にもう一つの
名前をつけるとしたら、
どんな名前にしたいですか?
その名前と共に生きる人生に
どんな変化が起きたら良いですか?