「死生観」を問う

ウエイクアップ・伴想人(ばんそうびと)
「まさこ」(田中雅子)です。

今回は「死生観」がテーマです。
縁起でもないと感じられる方も
いらっしゃるでしょう。
暗くて怖くて、
前向きに語れない話題ですよね。

私は人生のネクストステージに入り3年目、
この間に義母と実母を見送りました。
自分なりの死生観、死との向き合い方を
今のうちにきちんと考えておきたい
と思い立ち、関連書籍を読み対話する
勉強会に参加しています。

「死んだらどうなるか」は、人間が
大昔から必死に考えてきたことですが、
正解はありません。
哲学者の伊佐敷隆弘氏によると、
宗教と哲学の知見、習俗などをもとにした
死生観を大きく分けると、次の6つの
パターンがあるそうです
(「死んだらどうなるのか?
死生観をめぐる6つの哲学」より)。

1.他の人間や動物に生まれ変わる
2.別の世界で永遠に生き続ける
3.すぐそばで子孫を見守る
4.子孫の命の中に生き続ける
5.自然の中に還る
6.完全に消滅する

いかがですか?
皆さんはどれに近いですか?
混合的な考え方もあるかもしれませんね。
我々日本人の死生観には
さまざまな源泉があり、
重層的で柔軟であるように思います。

社会学者の橋爪大三郎氏は、
さまざまな宗教の死生観について
解説した上でこう言います
(「死の講義」より)。

「死んだらどうなるか、自分で決めなさい」

面白い考え方だと思いました。
自分の生き方については
自分なりの価値観で選択しますから、
死に対するスタンスも自分で決めるのは
当然かもしれません。

生物学においては、
「生き物が死ぬこと」は「進化」が
作りだしたものと考えられています。
遺伝子の変化が多様性を生み出し(変異)、
その多様性により、
死や絶滅を経ながらも
環境に選択された(適応した)種が
生き残り進化してきました。
個体の死は種の連続性を維持する
原動力であり、生物の中で
プログラム化されたものなのです
(小林武彦著「生物はなぜ死ぬのか」より)。

我々は次の世代のために死ぬのだ
と考えると、ちょっと利他的で
前向きな気持ちになれませんか?

自分の存在がなくなること(一人称の死)
への怖れもさることながら、
大切な人の死(二人称の死)を
どう受けとめ、どう乗り越えるかも
大きな問題です。

私は「看取り士」という
お仕事があることを最近知りました。
きちんと看取り、
魂のリレーができたとき、人は
死を悲しくつらい思い出として
思い返すのではなく、その人の命が
自分の中に宿っているように
パワフルに感じるものだそうです
(柴田久美子著「私は、看取り士」)。
とても共感しました。

「死」というテーマは、哲学、宗教、
社会学、生物学、医学、脳科学等が
クロスオーバーする分野であり、
奥深いものです。
私自身は、まだ確固たる死生観を
持てたわけではありませんが、
現在たどり着いた境地を言葉にしてみると
以下のとおりです。

  • 人間は、元をたどれば宇宙の不思議によって偶然この世に誕生した。宇宙の一部として自分の生を考えれば、自分の存在がなくなっても宇宙や自然に還ってしまうだけであり、それでいい。
  • つかの間の奇跡のような「生」に感謝しつつ、丁寧に生きたい。
  • 自分の亡き後、関わった人達の心に何らかのポジティブな記憶が残ればいいな。共感してもらえる人達に、自分の思い、願い、志のバトンを渡せたらもっといい。
  • 「死」を考えることは、結局「どう生きるか」を考えることと同じだ。
  • 死へのスタンスを自分で選択すると、以外と落ち着き、覚悟ができる。


コーチングを学び始めた時の設問、
「あなたは残りの人生を何に使いますか?」
が、改めてひしひしと迫ってくるのを感じています。

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