伴想人の“ちゃっぷまん”こと
佐伯崇司です。
伴想人は次世代の経営人材育成、特に
女性の経営人材育成に携わっています。
これを通じて、男女問わず企業の働き方
そのものの革新がなされていけば良いな
と思っています。
【過去/現在/未来】
A:過去は変えられないが、
未来は変えられる。
B:過去は変えられる。存在しない未来は
変えようがない。変えるべきは現在。
Aは、能力開発や人事系のセミナー、
ワークショップなどでしばしば語られる
フレーズです。
他方Bは、D.カーネギーの言葉
(「道は開ける」より)を筆者の理解
するところで(誤解を恐れず)
要約したものです。
AとB、全く正反対。パッと見では
Aの方が納得できるし、常識に合致すると
感じる人の方が多いでしょう。
実に、AもBもその含意は全く同じで、
「徒に過去に囚われていてはいけない。
これからの人生をより活き活き生きる
ために、あなたは今何ができるのか?
今をどう生きるのか?」と、
今を問い掛けているのです。
過去とは何でしょう。
Aで言う過去とは
「記録としての過去」です。
記録は変えられません。
一方、Bが言っている過去は
「記憶としての過去」です。
人間を苦しめたり人生に深く関わって
くる過去は、「記憶としての過去」、
主観的事実としての記憶そのものです。
記憶していないことは起こらなかった
ことであり、現実の記録がどうであれ
最早その人の過去ではありません。
記憶喪失者が過去を失うということは
正にこれです。
記憶こそが、過去。
ひとつの出来事は、その時点でのその人の
視点に基づいて、別な言い方をすれば
「価値観」というフィルター・色眼鏡を
透して知覚され認識されて記憶となるので、
記憶は不可避的に「評価された過去」
とならざるを得ません。
透すフィルター・色眼鏡が異なれば、
過去は全く異なった色が付いた記憶になる
ということです。
既に記憶されている過去であっても、
違う視点に立ったり違う価値観という
フィルター・色眼鏡を透して見直せば、
違う過去に変えられるはずです。
記憶って何でしょう?
脳内の微量な化学物質?微細な電気信号?
しかもフィルター交換で変えられるとしたら…。
そんなものに囚われるのは止めにしませんか?
違う視点に立つ、違うフィルター・
色眼鏡を透すというのは、確かに、
言うほど簡単ではありません。
その訓練(?)として私がお薦めして
いるのは、
「大変な事件で、悪いことだらけにしか
思えない中で、たったひとつ、
敢えて良いことを探す」ということです。
大災害ばかりの毎日ということは
ありませんから、普段は「今日の嫌な
出来事の中で良いことをひとつ探す」
ことを寝る前にやってみる。
良いことを意識するというフィルターを
透すことで、その出来事の嫌さ加減が
少しでも減るかどうか。
コーチに手伝ってもらうと
習慣化しやすいでしょう。
では未来とは何でしょう。
未来とは、読んで字の如し
「未だ来たらず」で、
今現在は存在しません。
それどころか、本当に未来がちゃんと
発生するのか、本当に明日という日が
やって来るのか、
1時間後にこの世界が存在するのか、
考えてみればこれほどあやふやで不確かな
ことはありません。
存在しているものなら変えることもできる
でしょうが、存在しないものは
変えたくても変えようがありません。
これがBの言う未来です。
無いものは創るしかない。
英語表現では、単純未来と意思未来、
二つあります。
未来を表す助動詞のwillですが、
名詞としては意思、決意という
意味になります。
存在すると確かに言えるのは、
今という瞬間までです。
そして全く不確実この上ないながら、
未来は現在進行している今の先端に連なって
発生していく時間です。
英語では現在進行形でも未来を表現します
が、未来の本質を突いていますね。
意思をもって現在行動するということが、
即ち、
意思をもって未来を創るということです。
ですから今現在をどう生きるかが
問われるのです。