「歴史に学ぶ日本的なシステムとリーダーシップ」 第2回 ~ 家訓(かきん) 後世に託す想い ~

今日は、歴史に学ぶシリーズの第2号です。

今号では、江戸時代から明治維新にかけての会津藩の物語で、藩祖・保科正之が家訓(かきん)として遺した将軍家への忠義の想いが、200年の時を超え幕末の会津藩主・松平容保の「京都守護職を引き受ける」という重大な意思決定に大きく影響した、とされている物語に注目します。

幕末、結果として極めて不本意な形で賊軍の汚名を着せられた会津藩のその後を想う時、当時の意思決定に対する賛否には意見が分かれるところかもしれません。

ただ、ここで私が着目しているのは、その意思決定の良し悪しではなく、1人の人間の想いが録音や録画技術のない時代の中でも、200年の時を超えて活き活きと生き続けていた、という点です。

この物語は、何らかの条件が整えば、ある1人の人間が「これが大切だ」と信じたことを、時代を超えて後世の人から人へと伝え遺していくことができる、という可能性を私たちに示してくれています。

このことの背景には、想いを発した人物の社会的地位はもちろんのこと、その人物が果たした役割や貢献の大きさ、さらには人徳などの要因があるでしょう。

しかし、より重要なことは、その想いそのものが、先に連なる時代に生きる人達にとっても「確かに大切だ」と実感できる内容であることです。

会津藩で伝承されたことは、主君に対する忠義の精神という、当時の根本的な価値基準であり、この日本という国で古くから育まれてきた、人としての大切な在り方の1つであったことも無視できないと感じます。

そして、だからこそ、会津藩という忠義に生きたシステムが、現代に生きる私たちの心の中に、今も変わらず鮮烈な印象と共感をもたらしてくれているのだと感じます。

今なお、会津の地や、その縁の方々の中に、会津藩の魂が生き続けていることに、心からの敬意を表したいと思います。

さて、現代に生きる私たちが後世に託す想いは、いったいどんなものなのでしょうか。
それは、いつか己の人生を全うする時に、それぞれの胸に去来するものなのかもしれません。

一方で、いつ私たちの命が尽きるのかについては、私たちには知る由がないことも事実なので、改めて、今の自分が後世に託す想いは何か?を問うてみました。

その自問に対する私の答えは、

「人やシステムの可能性を信じる。
そして、自分の可能性も、信じる。」

という想いです。

こうして言葉にして気づくのは、自分が後世に託したいことは、今を懸命に生きている自分へのメッセージそのままであったことです。

もしかしたら、保科正之も、忠義の精神を誰のためでもない、自分自身のために言い聞かせ、その生を、その瞬間を、懸命に生きていたのかもしれません。

今回も最後まで読んでいただきありがとうございました。

 

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