歴史に学ぶ日本的なシステムとリーダーシップ

社長のトレーニング

経営者は日々何を考えていると思いますか?

売上のことでしょうか?
社員のことでしょうか?
それとも、お客様のことでしょうか?

社長島村剛がリーダーとして、普段どんなことを考えているか
「何がリーダーを磨くのか?」
をぜひご覧ください。

株式会社ウエイクアップ
代表取締役  島村剛

「何がリーダーを磨くのか?」

以前、このメールマガジンに江戸時代の会津藩に伝承された「家訓」について書いたことがきっかけで、会津藩士の末裔の方との有難いご縁をいただきました。

この夏、会津藩が斗南(となみ)藩とその名を変えて移転した青森県にその方を訪ね、時の過ぎるのも忘れて、幕末から明治維新という激動の時代を生きた会津の、そして斗南 の人々の物語をじっくりと伺うことができました。

私にとって、それはたいへん幸せな時間でした。

数多くの貴重な現物資料と共に、生々しい物語を、それを直接の体験として伝承してきた方から話して聞かせていただくことは、本から学ぶプロセスとはまったく次元の違う迫力があります。

住み慣れた会津27万石から厳しい自然環境に晒される本州最北端の地、斗南3万石に移り住むことになった1万7千の人々。

彼らのその物語を想うとき、1人の人間としては抗いようのない歴史の意図や社会の不条理に無力感を覚えるのは、私だけではないと思います。

そして同時に、その人々が直面した逆境と、それでも皆で生き抜くことを諦めないリーダーたちの生きざまに触れて、1つの問いが胸に去来しました。

それは、
「何がリーダーを磨くのか?」
という問いです。

あなたなら、この問いに何と答えますか。

全ての英雄伝説、そして神話のシナリオは、逆境から始まります。斗南の人々も、この上ない逆境にその身を晒すことになりました。

人間は弱い存在です。

被害者意識と共にその逆境に流されていくことは、とても自然なことのように感じます。

もし私が当時の斗南藩に身を置く存在だったら、被害者として、自らの不運と無念を嘆き、未来に絶望していた可能性が高いです。

それでも、人間は、ただ弱い存在だけでは終わりません。

厳しい逆境の中で、斗南藩にリーダーが生まれ、そして磨かれていきました。

自分のためだけでなく、自分を含めた1万7千人の人々の生活が成り立つように藩を再生し、それを経営し続けること。

そのことを志し、力を合せたリーダーたちが、そのとき、確かにそこにいたのです。

逆境を嘆くことなく、自分も含めたより大きなもののために自分を使い続ける強さ。

そしてそれを支え合い励まし合う仲間たちの存在。

こうした要素が相まってリーダーは磨かれる、と私は思います。

こうして、斗南の地で激動の時代を生きたリーダーたちに想いを馳せた上で、今の自分についても考えてみました。

確かに、経営の役割を担うことは、日々思うようにならないことの連続です。

それでも、衣食足りて、生きがいと感じる仕事があって、共に力を合せる仲間たちが私にはいます。

そして何より、今、自分を取り巻く環境を逆境と呼んでしまったら、斗南藩の人たちに笑われてしまいます。

自分を含めた、より大きなもののために自分を使い続ける強さ。

この強さを身につけ続けることが、自分の中のリーダーを磨いていくこと。

これは一種の筋力トレーニングのようなものかもしれません。

この夏の有難いご縁に感謝しつつ、日々、このトレーニングに励んでいこうと想います。

編集後記

リーダーのトレーニングといえばリーダーシッププログラムですね。日程発表されました!こちらから確認ください。
http://my66p.com/l/m/MUufU69M8FQOVC

※このメールマガジンは、転送を歓迎致します。ご同僚やご友人など、興味をお持ちの方へ自由に転送してください。

株式会社ウエイクアップ
ウエイクアップ・リーダーズ・マガジン編集部
編集長 平田 淳二

「歴史に学ぶ日本的なシステムとリーダーシップ」 第3回 ~ もしあなたが真田昌幸だったら ~

年が明けて、大河ドラマも新シリーズが始まりました。
武田信玄という偉大な父親の背中を追い続けた武田勝頼や、父親に絶対的な信頼を寄せる真田家の一族の姿が活き活きと描かれています。

家(いえ)というシステムが絶対的な存在だった時代の中で、父親が発揮するリーダーシップの質が、その家の命運を左右する決定的な要因であったのでしょう。

そして、こうした歴史的な経緯が、リーダーシップの所在を父性に求めるという、これまでの私たちの1つの常識を創ってきたことも、否めないように感じます。

それが父親であろうと、お殿様であろうと、誰か1人のリーダーに組織の命運を託すというシステムは、指示命令、管理や統制という文脈において、その強みを発揮します。
特に、物質的な豊かさを求めて覇を競い合っていた戦国時代には、最も適したシステムだったのでしょう。

一方で、私たちが今、そしてこれからの時代をよりよく生きるためには、このようにリーダーシップを一極に集中させるシステムに限界があることを感じていらっしゃる方も多いと思います。

では、今、そしてこれからの時代に求められるシステムにおけるリーダーシップとは、どのようなものなのでしょうか。

それは、そのシステムが身を置く環境によって、リーダーシップの在り方を、自在に、かつ自律的にデザインできるシステムだと考えています。

その実現のためには、一極集中型の対極として、リーダーシップが偏在する、つまり、誰か1人だけがリーダーなのではなく、組織に所属する全員がリーダーである、というシステムに身を置く術を、今、そしてこれからを生きる私たちは体得しておく必要があります。

その在り方に向けての移行期間において、私たちが今すぐできることは、よく言われることではありますが、私がこの家の父親だとしたら、或いは、この会社の社長だとしたら、という視点からの思索と行動を開始することだと思います。

ぜひ、ご自身の持ち場で、もし自分がその組織のトップだったら、この局面で何を意思決定するのかについて、想いを馳せてみてください。

そしてまた、もし自分が真田家の当主だとしたら、という視点で今年の大河ドラマを眺めてみると、今までと違った形でドラマを楽しめるかもしれませんね。

今回も最後まで読んでいただき、誠にありがとうございました。

 

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「歴史に学ぶ日本的なシステムとリーダーシップ」 第2回 ~ 家訓(かきん) 後世に託す想い ~

今日は、歴史に学ぶシリーズの第2号です。

今号では、江戸時代から明治維新にかけての会津藩の物語で、藩祖・保科正之が家訓(かきん)として遺した将軍家への忠義の想いが、200年の時を超え幕末の会津藩主・松平容保の「京都守護職を引き受ける」という重大な意思決定に大きく影響した、とされている物語に注目します。

幕末、結果として極めて不本意な形で賊軍の汚名を着せられた会津藩のその後を想う時、当時の意思決定に対する賛否には意見が分かれるところかもしれません。

ただ、ここで私が着目しているのは、その意思決定の良し悪しではなく、1人の人間の想いが録音や録画技術のない時代の中でも、200年の時を超えて活き活きと生き続けていた、という点です。

この物語は、何らかの条件が整えば、ある1人の人間が「これが大切だ」と信じたことを、時代を超えて後世の人から人へと伝え遺していくことができる、という可能性を私たちに示してくれています。

このことの背景には、想いを発した人物の社会的地位はもちろんのこと、その人物が果たした役割や貢献の大きさ、さらには人徳などの要因があるでしょう。

しかし、より重要なことは、その想いそのものが、先に連なる時代に生きる人達にとっても「確かに大切だ」と実感できる内容であることです。

会津藩で伝承されたことは、主君に対する忠義の精神という、当時の根本的な価値基準であり、この日本という国で古くから育まれてきた、人としての大切な在り方の1つであったことも無視できないと感じます。

そして、だからこそ、会津藩という忠義に生きたシステムが、現代に生きる私たちの心の中に、今も変わらず鮮烈な印象と共感をもたらしてくれているのだと感じます。

今なお、会津の地や、その縁の方々の中に、会津藩の魂が生き続けていることに、心からの敬意を表したいと思います。

さて、現代に生きる私たちが後世に託す想いは、いったいどんなものなのでしょうか。
それは、いつか己の人生を全うする時に、それぞれの胸に去来するものなのかもしれません。

一方で、いつ私たちの命が尽きるのかについては、私たちには知る由がないことも事実なので、改めて、今の自分が後世に託す想いは何か?を問うてみました。

その自問に対する私の答えは、

「人やシステムの可能性を信じる。
そして、自分の可能性も、信じる。」

という想いです。

こうして言葉にして気づくのは、自分が後世に託したいことは、今を懸命に生きている自分へのメッセージそのままであったことです。

もしかしたら、保科正之も、忠義の精神を誰のためでもない、自分自身のために言い聞かせ、その生を、その瞬間を、懸命に生きていたのかもしれません。

今回も最後まで読んでいただきありがとうございました。

 

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「歴史に学ぶ日本的なシステムとリーダーシップ」 第1回 ~ 錦の御旗 ~

<はじめに>

今回から皆さまにお届けする、新シリーズ 「歴史に学ぶ日本的なシステムとリーダーシップ」では、‘ちっちゃな頃から歴史好き♪’という私の一面を活用し、日本的なシステムとリーダーシップについての記事を連載していきます。

このシリーズを展開するにあたり、前提となる事実認識は書籍などの2次以降の情報に頼らざるをえず、従って何が真実かについて実は定かでないという慎重さと、先人達のかけがえのない人生に対する最大限の敬意と共に在る姿勢を、それぞれ大切にしたいと考えています。

さらに、私たち日本のさらなる成長を願う気持ちと、日本はリーダーシップの実践や組織開発という文脈でも世界に貢献できる、という私自身の視点が、本シリーズの下敷きになっています。

従って、歴史上の人物や組織を評価、評論することはこのシリーズの目的ではなく、現代に生きる私たちがそのトピックから何を学び、私たちの意識の進化にそれをどう活用できるか、という視点で論を展開していきたいと考えています。
他のシリーズ同様、気軽に楽しんでいただければ幸いです。

<第1回 ~ 錦の御旗 ~>

古から、日本の歴史における錦の御旗が持つ意味は、自分たちの後ろに国家の最高権威としての天皇や朝廷が存在している、すなわち、天皇や朝廷を擁する自分たちこそ正しい、という正当性の証です。

江戸末期においても錦の御旗は大きな意味を持ち、鳥羽伏見の戦いで薩長軍が天高く掲げた錦の御旗を一目見て、徳川方の総大将である徳川慶喜は一気に戦意を喪失した、といわれています。

実際に慶喜の心の中で何が起きていたかは、今となっては知る術もありません。
ただ、「朝廷に弓を引く逆賊には決してなれない。もしそうなってしまったら、自分がこの世に存在している価値はない」という強烈な思い込みに思考を乗っ取られ、本来持っている自分の可能性を制限し、その後、反応的に行動してしまった、とする見方を私は否定できません。

ここで慶喜の行動を評価することが、この記事の目的ではありません。
私が着目している点は、それまでに培ってきた価値観や思い込みが、ここでは薩長軍が錦の御旗を掲げるという想定外の出来事を引き金にして、一気に人間を思考停止状態に巻き込んでいく、という点です。
慶喜という、当時の最高水準のリーダー教育を受けていた優れた存在をもってしても、それは起こりうるのです。

さらにここで着目したいことは、実際に戦場で掲げられた3本の錦の御旗は、朝廷から薩長が正式に下賜されたものではなく、長州藩が模倣して作ったものだったというエピソードです。

その真偽はさておき、もしそうだったとしたら、その時点での天皇や朝廷の率直な意向がどこにあったのかは客観的には誰にも分らないわけで、その時点で薩長と互角以上の戦力を有していた慶喜には、自らの価値観を損なうことなく目の前の現実により主体的に関与し、別の未来を創造するという選択肢が残されていたはずです。

もちろん、歴史を語る上では、1人の人間の力では如何ともしがたい時流の力も無視できません。
従って、慶喜が別の可能性を持っていたはず、というその点で彼を批判する意図は全くなく、逆に、彼が担った歴史上の大きな役割に対する深い敬意と、人間としての共感を、ここに表します。

さて、翻って、現代に生きる私たちのことです。
時代と環境は違うとはいえ、その志を受け容れ、ひたむきに人生を生きているという点では、私たちも同じリーダーです。
今に生きる自分にとっての錦の御旗は、いったい何なのでしょうか。

少し脱線して正直に告白しますが、私自身が思考停止に陥る引き金の1つは、自分にとって理不尽と感じる非難です。
主体的に生きていれば、周囲からの何がしかの批判や非難を受けることは当たり前と頭では理解していますが、その非難があるレベルを超えると、一気に思考停止状態に突入し、その人との関係を遮断する傾向が私にはあります。

その奥にある私の思い込みは、「自分はとても繊細で、すぐに深く傷ついてしまう。だから自分を深く傷つける存在とは離れていないと生きていけない」というものです。
この思い込みが自覚できてからは、このパターンでの思考停止の発生確率は下がってきているように自分では感じていますが、慶喜と比べると、そもそものレベルが低いですね(笑)。

さて、話を錦の御旗に戻しましょう。
幸い、私には、弊社のミッション、
「意識の進化を呼び覚まし、人やシステムが本来持っている可能性が拓かれた幸せな未来を創ります。」
があります。
仕事の文脈では、これが今の私の錦の御旗です。
会社のミッションが自分事になっていることに感謝を感じます。

この錦の御旗を、自分たちの可能性を制限する方向に使うのではなく、まさにその言葉どおり、自分たちの可能性を拓く方向で活用していきたいと考えています。

少し長くなってしまいました。
最後まで読んでいただき、誠にありがとうございました。

 

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