ウエイクアップの山田希です。
とあるワークショップで、
知り合いになった外国人が
向こうから歩いてきたときのこと。
ふと目が合った瞬間、すれ違いざまに、
彼女が私にウインクをしたのです。
その素敵さに衝撃を受けた私、
あんな風にウインクができるように
なりたいと願いました。
しかし試しにやってみたら、
どうにもうまく行きません。
鏡で見てみたら、片目どころか
両目とも閉じ、目をつぶろうと思った側に
なぜか身体ごと傾いているうえに、
歯まで食いしばる始末。
表情は何やら苦虫を嚙み潰したようで、
お世辞にも素敵とは言えません。
その日から、私は猛練習を始め、
何とかそのほかの筋肉を動かさずに
片目を閉じるという技を
自分のものにしました。
何かをやってみたいという動機は
甚だ予測のつかないものですが、
動機があるとなしでは覚え方もスピードも
大いに違ってきたりします。
動機がなければ意欲も湧かず、結果、
どんなに良い内容の研修や
トレーニングであっても、一向に
身にならないことはよくあります。
弊社でもしばらく前、某プログラムを
社員として受講必須にしたいという案を
社内に伝えたところ、
大反発を食らいました。
その時はそんなに反対を受けるとは
思っても見なかったので
びっくりしてしまったのですが、
うまく伝えられなかった一要因として、
やはり動機付けがうまくできなかった、
というところがあるのかなと
振り返って思います。
「これを受けるといいよ」
と言ったところで、その人の人生や
キャリアの文脈において
意味や価値を持たなければ
魅力的には映らず、悪くすれば
こちらの意思を押し付けようとしている、
操作しようとしていると
受け取られかねません。
キャリア自立し、自主性や当事者意識を
発揮してほしいと言いながら、
何かを必須にする、というのは、
伝え方によっては矛盾していると
捉えられることもあるでしょう。
自分で自分のメッセージや
出している印象が矛盾していることに
気が付かなければ、
不信とはいかないまでも
スッキリしない気持ちを抱かせ、
提案そのものに対する反発に
つながったのかもしれません。
結果的に当時その提案は
取り下げとなりましたが、
自分が何を願っているのか、まだ上手に
言語化できていなかったのかなと
反省する機会にもなりました。
さて、あれほど頑張って
身に付けたウインクですが、その後
一度もその成果を発揮する機会が
訪れずにいます。
しかしそもそも、すれ違いざまに
誰かにウインクをするなんてこと、
私のキャラではできそうにありません。
素敵さの源がウインクにある
と思い込んだ動機付けがひょっとして
間違っていたのだろうか・・・?
少しずつ澄んできた
秋の空を見上げる9月です。