チャットボットの無限ループ

チャットボットで質問するイメージ

ウエイクアップの山田希です。

皆さんはチャットボットを使ったことはあるでしょうか。
チャットボットというのは、ウェブサイトなどに行くと、「ひょこっ」と出てきて「知りたいことは何ですか?」とか何とか言う、あれです。質問をしていくと、即座にチャットが返ってきてあっという間に解決してくれる。便利な世の中になったものです。

しかし物によっては、何度質問をしても、欲しい回答が出てこない。「そういうことが聞きたいんじゃないんだよな」と思い質問を重ねていくと、ついに回りまわって、最初の質問をする羽目になる。まさに無限ループです。
近年はどこでもチャットボットが出てきますが、私と同じような目に合われた方もそれなりにいらっしゃるのではないでしょうか。

黒澤明監督の『生きる』という映画で描かれた、リアルの世界(お役所)でのたらいまわしの様子を思い出しましたが、何となればデジタルにたらいまわしされた気分です。しかしリアルの世界と違うのは、デジタルの世界では責任回避だったり事なかれ主義だったり、そういった「人間的な」ともいえる
理由でなく、想定された形ではない形で質問が来ると応用が利かない、ということなのでしょう。

その点人間というのは厄介なもので、自分が何を知りたいのか分からなかったり、イメージしているものを上手く言語化できなかったり、勘違いや思い込みなども平気でする種です。それを考えれば今のチャットボットが苦戦する理由も分からなくはありません。最近のチャットボットは丁寧で、「お役に立てずすみません」と謝ってくれたりします。こちらも思わず「ごめんね」と言ってあげたくなってしまいます。

弊社でも個人向けの事業をやっていますと、似たような質問を何度も受けることがあります。Webサイトに載せ、FAQを作り、チラシやパンフレットなどありとあらゆるところに、できる限り分かりやすく掲載しているつもりなのですが、やっぱり、同じ質問が来る。いきおい、「チャットボットがあれば、手間や労力が少しは減るのかも・・・?」という夢を描いたりすることもあるのですが、まだ夢のままで終わっています。

しかしいつか生成AIがさらに進化し、学習が進めば、こちらの非言語シグナルまで読み取り、気持ちを汲み取って回答してくれたりするチャットボットが誕生するのかもしれません(同時に、もしかしたら、事なかれ主義の絶妙な言い訳も学習してしまうのかもしれませんが)。
さて、それは人間の知性のすばらしさを体現したものなのか、もしくは人間性のすべてを体現したものになるのか。AIの未来に興味が尽きない春です。