洗濯物が乾くまで

ウエイクアップの山田希です。

春だからか、
それとも気候変動のせいなのか、
最近は風が強い日が多く、
洗濯物を干すのに気を揉む日が続きます。

これまでに飛ばした洗濯物で
最大のものは敷布団でしたが
(あれはなかなかの見ものでした)、
最近はちょっと重たいものでも簡単に
外には干せないときが多々あります。

洗濯といえば、
わが母はなかなかのツワモノで、
我が家では中学生になったときから、
自分の服は自分で洗うべし、となりました。
当時、自宅にあったのは全自動洗濯機。
私からすればビデオデッキや
電子レンジを操作するのと大差ありません。
気軽に「いいよ」と引き受けましたが、
そんな甘い見込みは早々に覆されました。

洗濯物を干して学校に行き、
友人と話して帰りが遅くなった日のこと。
夕方から雨が降ってきていましたが、
きっと洗濯物くらい取り込んでくれる
だろうと期待していました。
が、なんと
私が干したものだけ残っていて、すべて
雨に濡れているではありませんか。
唖然として母に尋ねたら、
「これからはあなたの仕事だと
言ったではないか」との返事。

「それくらいやってくれてもいいじゃないか」
と、釈然としないながらも、仕方なしに
もう一度洗濯機に放り込みました。

翌朝、生乾きの服を着て
登校することになりましたが、
何と無しに分かってきたのは、
洗濯という仕事の認識が違い、したがって
期待値が違うのだということでした。

私の中の洗濯は、
「洗濯機に入れてボタンを押す」
ということであり、それができれば
仕事が出来たことになる
と認識していました。
干すまでしたら、
120%の仕事ぶりでした。

一方母からすれば
そんなものは工程のたった一部であって、
洗濯ものかごの中の量を見て、
天気予報を見つつ洗濯機を回し、
干し、取り込み、畳んで、
必要ならアイロンがけして、しまう、
というところまでが「洗濯」という仕事
であり、そのすべてが出来ていなければ
仕事をやったことにはならなかったのです。

それ以来私は天気予報を真面目に見て、
全工程を意識しながら
洗濯をするようになりました。
そうなってから、母はしばしば
手を貸してくれるようになりました。

新しい環境や新しい人間関係の中、
もしくは新しい仕事をするときは、
常に期待値の調整を伴います。

人によっては
しばらく観察するタイプもいれば、
ひとまずやってみて感覚値を育てる、
というタイプもいるでしょう。

しかし何事も、
ずれが表面に出て来たときがチャンス。
想定外のことが起きたときほど、
自分の期待値が何かしら他人や環境の
それと合っていなかったというサイン
だと思うのです。

風にはためく洗濯物を見ながら、
今日も一枚も飛ばずに無事
乾いてくれるのを祈る、風の強い午後です。

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