「やさしいきびしさ」と「きびしいやさしさ」

CTIファカルティの橋本博季(はっしー)です。

10数年前、僕自身がコーチングの
トレーニングで受けたフィードバックに
僕は衝撃を受けました。
自分のコーチングの録音を聞いてもらい
フィードバックをもらうというシーンで、
トレーナーは迷いなく以下のような
フィードバックをくれました。

「クライアントが傷つかないように
しているだけで大事なことは何も
おきなかったわね。」
「まるで、クライアントを腫れ物みたいに
扱っているようにみえるわ。」

言葉なし。
体に痛みが走る感覚を今でも覚えています。
スーパービジョンが終わった後、
打ちのめされた感覚だけが残りました。

『ほんとはこわい「やさしさ社会」
(森真一 ちくまプリマー新書 2008年)』

この本を読んで冒頭のエピソードを
思い出しました。本の中では
「やさしさ」ということについて
2種類あると書いてあります。

「やさしいきびしさ」

“やさしいきびしさ”はやや古いタイプの
やさしさです。基本的には相手に
きびしく接します。ただし、その
きびしさはやさしさにもとづきます。
~中略~
きびしく接するので相手を傷つける
こともあります。しかし、それは、
相手の将来のことを思って行う行為です。
“いまきびしくしないと、将来、相手が
一人前にならなかったり、恥をかく
かもしれない。
だから傷つけるかもしれないけれども、
相手のことを本当に思うなら、ここは
きびしく接することにしよう。
傷は、いつかは治るのだから”
という態度です。

色々な意見があると思いますが、
印象に残ったのは
「やさしいきびしさ」の根底にあるのは
「未来に向けて」のかかわりであること
と、仮に相手を傷つけたとしても、
傷はいつか治るという考えです。

「きびしいやさしさ」

一方で”きびしいやさしさ”はあたらしい、
現代的なやさしさです。
それは、いま傷つかないように
全力を尽くすこと、を要求します。
さきほどのやさしいきびしさが、
いまは傷つけるかもしれないが
将来を思えば仕方ないと考えるのとは、
対照的です。
傷つけないようにする点では、やさしい
と言えます。
~中略~
しかし、そこには、
“相手を不快にしたり、傷つけたり
しないよう、いま全力をあげて努力しろ!”
“もしわたしを傷つけたら、許さないぞ”
というきびしさがうかがえます。
だから、きびしいやさしさ、なのです。

こちらは、未来に向けてというよりも、
今傷つけないことに注力している
ように見えます。互いの関係に
「謝るぐらいなら、やるな。」という
前提があるとも示唆しています。

この違いは、「傷」についての
考え方の違いに由来するように思います。
やさしいきびしさでは、
傷はいつか治るもの、と捉えています。
しかし、きびしいやさしさは、
傷はいつまでたっても傷のまま残る、
と考えているのかもしれません。

冒頭に書いた、トレーナーからの
フィードバックで僕は打ちのめされました。
傷ついたという感覚のみならず実際に
痛かったです。
ただ今思うことは、
彼女の僕へのかかわりは間違いなく
「やさしいきびしさ」でした

クライアントを傷つけないよう
かかわっていた僕の将来や
可能性に向けて、なんの迷いもなく
目撃したことをそのまま伝えた
と言えます。

その後コーチングを実践する中で僕が
本気で踏み込みすぎて、コーチングが
嫌になって音信不通になった
クライアントAさんがいます。
のちに偶然Aさんと会う機会があり
連絡しなくなった経緯を教えてくれました。

「あの時のかかわりは受け止めきれ
なかったし、正直傷ついた。ただ今は
とても大事なかかわりだったと思って
感謝しています。」

僕とAさんの間で
新しい関係が始まった瞬間です。
人は逞しい、傷ついたとしても
そこから自ら学んで、彼自身の人生を
生きていたことを僕も学びました。

あのスパーヴィジョンでの学びは
実践され、一時的に人を傷つけたかも
しれません。そしてそこからまた
新たな関係が創れることも
学ぶ機会になりました。
実際にAさんとはこの数年後に再度
コーチングが始まることになります。

一人一人考え方があると思いますし、
どちらのやさしさがいいとかは
全く言いたいと思いません。

ただ僕にとって、人の本領発揮を
エンパワーするコーチとして、
大事な観点であることは
間違いありません。
皆さんにとっての優しさとは
どんなことなのでしょう?

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