ウエイクアップの山田希です。
今年は辰年。
私の生まれ年の干支でもあります。
辰と言えばよく昇龍ということで
縁起が良さそうに思われ、2024年の
経済や株式市場の予測もちょっと
強気なものをちらほらと見ました。
今年は私の年か!?と思っていた私は、
しかし年始早々体調を崩し、
昇龍どころか臥龍の状態で
ほぼ1週間強を過ごすこととなりました。
近年にない最高体温を更新し続ける
体温計を横目に、はて、このまま行ったら
救急車を呼ばねばならないか?
仮に回復したとして、なにか後遺症でも
残ったらどうしよう、と
熱にうなされながらだいぶ悲観的な
方向に想像が向かったのですが、
幸い身体は無事回復し、
それと共に気持ちも持ち直しました。
龍といえば、西欧では
空を飛び火を吐く恐ろしい悪魔のような
存在として知られていますが、
対照的に、なぜか東方では
神秘的な存在であり、日本や中国では
水にまつわる神的な存在でもあります。
洋の東西でこれほど
逆のイメージがあるのも面白いものだな
と思います。
日本では干支にちなんで
今年はどんな年になるか、などと
語られたりしますが、
これらのイメージで判断するならば、
今年は両極端、とは言わないまでも、
一様ではない年になるのかもしれません。
映画「スライディング・ドア」では、
電車に間に合って乗れた場合と
ドアが閉まって乗れなかった場合の
ストーリーが同時進行的に語られます。
清水義範さんの小説「金鯱の夢」では
秀吉が史実通りに死なず、名古屋に
豊臣幕府を開いた場合とそうでない場合
(つまり史実通り)の現代日本が
最後の章では上下二段組で同時進行します
(この場合名古屋弁が標準語となる、
我々名古屋人にとっては涙なしには
読めない物語が語られます。
もちろん上段において)。
歴史や物語においては
「あそこが始まりだった」という起点を
分かりやすく語ることができますが、
現実においてはどこが起点だったのか
分からないまま、気がついたら
ほかの人々や世界と自分とが
随分と乖離していて、
いつからそれが始まっていたのか
分からないことがほとんどです。
であれば、今ここで何をするのか、
どんな状態であるのか、
そこに意識を向けていくことだけが、
自分のできることなのでしょう。
ということで、私の臥龍スタートは
未来にどんな影響を及ぼすのでしょうか?
まだ答えは見えておりませんが、
のっそりと動き出した2024年です。