人は人を変えることができるのか?

ウエイクアップの上田晶子(あっちゃん)です。

コーアクティブ・コーチングに出会い、
学び実践し続けるプロセスは、
たくさんの「問い」に出会い続ける
ジャーニーでもあると感じています。

先日、あるクライアントさんとの
メッセージのやりとりの中で湧いてきたのは、

「人は、人を変えることができるのか?」

という問いです。

この問いを受け取って、
あなたからは、何が湧いてきますか?

私から出てくるのは、

「人は、人を変えたいと思っている」

ということ。そして、

「人は、人を変えられない」

ということです。

自分ごとで考えてみると、
このことを如実に実感させてくれるのが、
子どもたちの存在です。

自分の意にそぐわない行為を彼らがしたとき、
(例えば、必要な時間までに身支度が
終わらないとか、もう寝る時間なのに
はしゃぎまくっているとか)
自分の中から湧き上がる苛立ちや
尖った言葉があり、この時私は、
私の言動によって、彼らを変えたい
と思っています。

そもそも“私は彼らを変えられるはず”
という想定が心の中にあるから、
それが言動として出てきているのです。

そして、

後になって、自分の言動を振り返ってみると、
ああ、私、また傲慢だったな、と気がつきます。

子どもたちを、自分の意のままに変えたい、
と思っている。

あれれ?
私、彼らを、親の言いなりになるような、
自分の外側の誰かや何かを起点にして、
動く人になってほしいって
思ってるんだっけ?

いやいや、そうじゃない。

自分で考え、選び、動く。

彼らのその力を信じていたい。
彼らが、自らが持つその力につながり、
起点にして生きる姿を応援していたい。

「人は、自分以外の人から変えられる存在ではない」
「人は、自らの意思によって変化を創り出していく」

私は、そのスタンスを選んでいたいのだ
ということに気がつきます。

「人が変化する」という目的において、
人と人、という“個人”のレベルで見た時に、
人が自分以外の人間に直接的にできうることは、
ほんの僅かなのではないかと思うのです。

変化する当事者は、
自分ではない他人なのだから。

一方で、“関係性”のレベルで見た時に
自分が変わることが、結果として
相手に影響を創り出すことがあります。

これは、親子の関係性や上司部下の関係性含めて、
あらゆる関係性において起こりうることです。

自分が変わるとは、例えば、

自分が相手をコントロールしたいと
無意識に思っていたことに気づいて、
その意識を脇に置き、相手に委ねる。

相手は自分で考える力がないから、
私がアドバイスする必要があると
思っていたことに気づいて、
アドバイスするのではなく、
相手の考えを聞きにいく。

相手は何かが欠けているから、
私が与えてあげる必要があると
思っていたことに気づいて、
相手にすでにあるものに好奇心を向ける。

自分の傲慢さに何度も気づきながら、

「私は、彼らとの関係において、
どんな影響を創り出していたいのか?」
「そのために、
私はどう変化していきたいのか?」

を問い続けていたいと思います。

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