変化の兆しの物語

ウエイクアップの山田希です。

暦が12月に変わり、
年末が押し迫って来ると、
何やら移ろいゆく時の流れの速さが
ひしひしと感じられます。

財務担当の私は年末を越えると、今期の
収支の見通しや来期の予算建てに始まり、
決算が終わる5月末までは
ひた走る日々が待ち受けています。
年末が来ると、
「またあの時期がやってきた」と
気合を入れるような心持で新年を迎え、
そこからいつものごとく走り出します。

しかし毎年同じような
時の流れにあるように見えて、
一つとして同じ年はありません。

変化というのは、
その真っただ中にいるときは、
あまりに微細すぎて
変わっているかどうかさえ
感じられないこともあります。
しかし、しばらく経って
「変わったな」と感じる時、振り返ると
「あの頃のあれがきっかけだったんじゃないかな」
と思うものがあったりします。

その時々には脈絡のない
ランダムな動きに見えていたものが、
過去を振り返ればあの時のこれが
今ここに繋がっているのか、と
物語が浮かび上がるかのように
見えてくることがあります。

一方でそれもまた、
一つの「物語(fiction)」ではあります。
ユヴァル・ノア・ハラリの言を借りれば、
それこそが人類をほかの種と異ならせる
力であるとも言われます。
そして時として、人間の脳は
自分に都合よく物語を作り上げる
とも言われています。

この物語を生み出す力は、変化の兆しを
感じながらもその解釈によって、
人によって異なる結論に導いたりもします。
もっと言えば、
感じている「兆し」そのものが
全く違うことだってあるでしょう。
同じものを見ながら人が感じていることは
自分となんと違うことか!

ですが、その違いを足し合わせることで、
自分では見られなかった世界を
見ることができるようにも思うのです。
そして自分の認知の限界を、
他者の力を借りて
超えていくことが可能だとするならば、
誰かと一緒に働いたり
考えたりすることは、
実に面白いものだとも思うのです。

こんなことを考えるわたしは、
一人で人生を生きている気でいた
若かりし頃と比べたら
確実に変わったように思うのですが、
はて、その兆しは
どこにあったのでしょうか?
あれか、いやこれかな、と様々な物語を
巡らせながら独り言ちる、冬の始まりです。

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