ウエイクアップの上田晶子(あっちゃん)です。
コーアクティブ・コーチングのコースや
企業内でのトレーニングプログラムの
トレーナーを担当しています。
今回はとても個人的なことを書いてみたいと思います。
お盆休み、実家の富山に帰省して両親と過ごしました。
普段、学童保育の支援員として働いている母。
夏休みは、稼働時間がグッと増え、忙しくなります。
そんな中、孫たちの帰省に合わせて、
3泊4日の楽しいプランをデザインしてくれて、
水族館に花火に温泉にと子どもたちは大よろこび。
UNOやオセロにハマっている長男の相手も、
家事の手を止めて、夜遅くまでしてくれました。
すごい体力だなあと感心しながらふと思い出したのは、
数日前、SNSに母が投稿していた言葉です。
「子どもは、育てる存在ではなく
太陽に向かって自ら育っていく存在。
新鮮な空気や水や土壌をどれだけ守ってやれるのか、
それって、大人の、社会の大事な役割」
私は、子どもの頃も成人してからも、母から
「これをしなさい」「これはだめ」
と言われた記憶がありません。
宿題をしなさいと言われたこともなければ、
塾に行きなさいと言われたこともありません。
なので、自由奔放に、自分の心のままに
さまざまな選択をしてきました。
コーアクティブ・コーチングの4つの礎*の一つ。
人はもともと創造力と才知にあふれ、
欠けるところのない存在である
People are Naturally Creative, Resourceful and Whole
2008年にコーアクティブ・コーチングに出会い、
この礎を紹介されたとき、まるで呼吸をするように、
そうだよね、と自然と心が共鳴したのは
きっと、母をはじめ、周囲の人たちから、
そんなまなざしで見つめ見守られる経験を
させてもらってきたからなのだと思います。
一方で、自分が母となり思うのは、
母のようなまなざしで子どもたちを見つめることが
難しいことが少なからずある、ということです。
こちらがつい、手を出したくなる。
こちらがつい、正解を言いたくなる。
彼らを自分の思い描くどこかに連れて行こうする。
彼らが自分の思い描く何者かになることを願っている。
なんだか自分が力が入りすぎているな。
なんだか自分が頑張ろうとしている感覚があるな。
子どもたちに聞き耳を立てるより、
せわしなく私がしゃべりまくってるな。
そんな感覚が、そのことに気づかせてくれます。
これは親と子の関係でも、上司と部下の関係でも、
コーチとクライアントの関係でも
起こりうることなのではないかと思います。
そこには、
「相手の失敗や成功に対して自分に責任がある」
という構図があります。
その時、自分の中にある問いは
「相手が失敗を回避し成功するために、
私は親として/上司として/コーチとして
何をする必要があるだろうか」
というものです。
一方で、私たちが、
「人は、自らが向かいたい方向に向かう存在である」
というスタンスに立つならば、自分に向ける問いは
こんなふうに変わっていくかもしれません。
「相手が向かいたい方向に
自ら向かってゆくために、私はどうありたいか?」
「私たちがどんな関係であることが、相手が
その方向へ向かうことを後押しするだろうか?」
私たちは、人として、コーチとして、
もっと無責任でいい。
自分じゃない誰かの責任を取ろうとするのではなく、
自分はどうあるか? 私たちの関係性はどうか?
に意識を向け、選択し、創り出すことが、
相手の主導権を奪うのではなく、
相手が自らに寄って立ち自らをリードする力になります。
*4つの礎とは、コーチとしての
スタンスや人間観を言葉にしたものです
追伸:
言うは易し、行うは難し。今朝も長男に
「ママの言うことはわかったから、
僕の話をちゃんと聞いて!」と言われた私です。