引き継ぐべきもの

バトンを渡す

ウエイクアップの山田希です。

初めて引継ぎをしたのは20代の頃
だったでしょうか。見よう見まねながら、
迷惑をかけてはいけないと
一生懸命マニュアルを作り、
乱雑に置いてあったファイルキャビネの
資料を史上最高にきれいな状態にしたと
自負しました。

ですが後日、引き継いだ後輩から
「山田先輩、あの資料ひどいですよ~、
ぐちゃぐちゃじゃないですか」
と言われ、愕然としました。

あんなにきれいにしたのに……と
恥ずかしさや怒り、悲しみなど様々な
感情が胸の内を駆け巡ったのですが、
なるほど、人が思う整理整頓された
状態と、私が思う状態は違う
のであるな、と理解した私。

以来、引継ぎの時には
そこまで気合を入れず、あるがままを
お渡しすることにしました。

人が何かを覚え、理解し、
同じようにできるようになる
というプロセスは不思議なもので、
何かを教えていても
あっという間に要点を掴んで
こなせるようになる人もいれば、
まったくこちらの説明が伝わらず、
もどかしいような思いをさせる
人もいます。

認知のプロセスが人によって違う
といえば違い、当然ではあるのですが、
それ以外にもセンスや経験、
興味や価値観、考え方や、
ことによっては物理的な身体感覚など、
様々なものが異なる人間同士が
(少なくとも外面上は)同じ仕事を
できるようになる、というのは
すごいことなのかもしれません。

日本語には心技体という言葉がありますが、
年齢を経るにつれ、仕事の引継ぎは単に
やることのマニュアルを渡すだけでなく、
どんなスタンスで、
何に目配りをしてやってほしいか
といった、心や体の部分も合わせて渡す
ことが大事だなと思うようになりました。

それは渡す側のエゴかもしれませんが、
今になって振り返ってみれば、
引継ぎを受けたもので
血肉化しているものは、技だけでなく
心や体も合わせて受け取ったものが
ほとんどだということに気づいたからです。

とはいえ、何かが意図通りに
引き継がれたかどうか、というのは
すぐに目に見えるものではないのでしょう。

その種には熟成期間があり、
芽吹かず長い冬眠に入る種もあれば、
育たないものだってあります。
花を咲かせるのは数日後かもしれませんし、
数年後かもしれません。

目の前で自分の大事にしているものが
確実に受け取られたことが見て分かれば、
それに勝る喜びはないかもしれませんが、
そのような場合だけとは限りません。

結局のところ、
究極的に渡しているものは、
あなたにお任せする
という信頼
だけなのかもしれない、
と思う2023年の初夏です。

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