ウエイクアップの池田佐佳子です。
いつもはCTIのコーチングコースや
企業でのコーチングコースといった
様々なプログラムのリードをしています。
今日は「当事者」ということについて
書いてみようと思います。
書こうと思ったキッカケは、
人気のテレビドラマを野次馬的に観て
ギョッとしたからです。
(野次馬らしく3話まで観た)
ギョッとした理由は、人にばかり気を遣って
自分を生きていない役柄なのに
「主成分やさしさ」と呼ばれていたからです。
自分に関わるすべての人に幸せになって欲しい
そう思うことは別段不思議ではありません。
私でさえ、そう思っています(本当です!)。
でもその為に
自分自身の願い、夢、やってみたいこと
それを手放して、目の前の人に
「どうぞ」と譲り続ける姿は、やさしさ
というより、私の表現で恐縮ですが
「他者からのイイねが欲しい人」
ではないかと思ったのです。
人生の当事者でいるというのは、川の流れを
川べりに座って「いぃ眺めだねぇ」と
言っているだけでなく、自分から
川に飛び込んで冷たさを感じたり、
流れに抗ったりしながら生きてる実感を
感じることじゃないかと思うのです。
そう思ってしまうのは、恐らく私個人の
経験から来ている気がします。
母が常に私や兄のことを優先して生きている姿に
どこかのタイミングからうんざりし始めたのです。
明確に伝えた記憶もあります。
「もう私のことはいいから、
お母さんは自分の幸せを考えてよ!」
勝手なものです、自立するまでは
散々母にやってもらっていたのに。
ただ親から離れて生活し始め、
精神的な自立が芽生えた頃になって
初めて、親のことを一人の人間として
見られるようになったからこそ、
親にも幸せになって欲しい、
思う存分羽を伸ばして欲しい、と
思ったのではないかと想像します。
あくまで私の見解ですが、
ひとは自分のことを見守ってくれている
存在がいることに心から感謝する
と同時に、その人が自分の幸せを
後回しにして生きていることを、
望んではいないと思っています。
※本当に愛している人であれば、ですけれど。
2023年が始まりました。
withコロナも3年目となり、ここから
新しい生活・働き方が始まる方も
多いのではないかと思います。
自分がどう生きるかは、
目に見えるDoingの選択だけでなく、
どんなBeing/あり方を選択するか
でもあります。
どんな自分で何をするのか?
それをする自分はどんな自分か?
自分の人生のハンドルを握って、いざゆかん!!
【おまけトーク】
昨年末京都へ行った際、
阪急電車に乗ったのですが、乗車した途端
「広い~」と車内の空間の広さに
家族三人とも感嘆の声を上げました。
東京の電車と関西の電車って
サイズが違うんですかね?
あれくらいの広さなら東京の
満員電車事情も緩和される気がします。