自分のアタマにダマされない

こんにちは、
ウエイクアップの平川徳好です。

普段はコーアクティブ・コーチングの公開
および企業コースのトレーナー、または
コーチとしてコーチングサービスを提供しています。

今日は私の趣味である山登りの話を
少ししてみたいと思います。

私が山登りを始めたきっかけは2001年の
新年をネパールで迎えたことでした。

当時私はCTIの応用コースを受講中
だったのですが、帰国後その話を
周囲にしたところ、その参加者の一人に
「いい天然温泉があるので、今年の夏に
一緒に山に登らないか?」
と誘われました。

何も知らない私は二つ返事で答えたのですが、
それが俗に言う縦走というヤツでして、
無謀にも最初の山登りが4日間
山を歩き続けるというものでした。

ただその体験をきっかけに今に至るまで
結局20年以上も主にソロで山登りをしています。

最初の頃私がハマったのは、
ジワジワくる開放感でした。

早く歩こうとしても自分の心臓がついて行かず、
諦め、自分の呼吸に合わせて歩くしかなく、
一歩一歩歩いているうちに
気づいたら呼吸が静かになり、
それに伴って感覚が徐々に開き、
皮膚に伝わってくる風を感じ、
鳥の声が聞こえ始め、周囲を見渡したら
とても美しい木漏れ日が周りを照らしている、
そんな感覚です。

最高なのは、3日目の朝で、
その頃になると体も歩くことに馴染み、
日の出とともに体が開いている、
そういった感覚でした。

そこまでくるととても心地よく、
思考もカラダも解放され、
普段思いつかないようなアイデアも
時々降りてくるような体験でした。
その感覚は今でも覚えていますし、
いつもそんな感覚を欲して山に入ります。

(ここから少しずつコーチングに寄せて
いきたいと思います。)

一方、私がふと感じたことは、
「何で普段こうならないんだろう?」
という疑問でした。

カラダが開き、心が解放されると、
あーこういうことかとか、
こうするといいんだな、ということが
体を通じて腑に落ちる。
ただ普段は中々そうはならない。

その後更に10年以上かけてその問いは
自分なりに発散し、深まっていくのですが、
その時素朴に思ったことは、
普段(日常)はアタマ(思考)先行で、
アタマしか使っていないことが多いことに
気づかされたことでした。
そして時には自分のアタマに騙され、
思い込み、頑なになる自分のクセにも
気づかされました。

感覚が鈍くなったら、
腑に落ちなくなったら、まずは自分を疑おう
そしてすぐに答えを出すのではなく、
一旦保留し、少し寝かそう、そうやって
そのことをきっかけに徐々に
カラダの声を聴く習慣が自分の中に
生まれたように思います。

思考ありきではなく、カラダの感覚含め
自分の全体性に意識を向ける。
アタマ(思考)を実現するために
自分を使うのではなく、
カラダの感覚/全体性、自分が
腑に落ちていることを実現するために
アタマを使おう、そのように
アタマを使う順番を意識的に切り替える
ようにしていったことを思い出します。

そうした経験から私は、人と関わる際、
その人はどこからそれを発しているのか?
を聴き、そして見ています。
そしてそこに不自然さを感じた時は、
真剣に問うのではなく、
笑いながらほぐしたり、
ラクになってもらうように働きかけ、
その人の本心に少しでも近づこう、
という意識に徐々になっていったと思います。

コーアクティブ・コーチングを学ぶことは
コーチングを学ぶだけでなく、組織や
社会での自分の関わりについても学び、
更にはこうした人と人との関わり、
もっと言えば自分について学ぶことに
つながってくると思うのです。

そしてコーチングを受けることは、
私が自然の中で感じていることを
対話を通してアタマだけではない
自分のカラダの感覚をひらくことにも
つながっていくように思います。

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