「道」とは

ウエイクアップの三浦伸子です。
CTIで上級コースのスーパーバイザーを
担当しています。

茶道を大成した侘茶の祖でもある
千利休の教えのひとつ
「稽古とは一より習い十を知り
 十よりかへるもとのその一」
この心得について
私が体験したことを書いてみたいと思います。

その前に少し私と茶道について
お話をさせていただくと、27年ほど前に
素晴らしい恩師との出会いがあり、
それ以来稽古をつけていただいてきました。
茶道の魅力や奥深さを
私に教えてくださった先生ですが
昨年、97歳でお亡くなりになりました。

私にとって先生は家族と言っても過言では
ないくらい大切な存在。
お別れはとても悲しく、
コロナ禍で2年ほど会えなかったことも手伝って、
号泣して涙が止まらなかったことを覚えています。

その後、この先の稽古はどうしたらよいものか…
と思い悩んでいました。
そんな中、偶然にも亡くなった恩師のことを
よくご存知である先生に出会い、
稽古をつけていただけることになったのです。
今年の春のことでした。

こうして新しい先生と「一から稽古」
が始まりました。
「一から稽古」というのは、
お辞儀の仕方から、足の運び、
ふくさの扱い(絹の布でお道具を清めること)
柄杓の扱いなど、茶道の基本中の基本。
つまり初心者のお稽古そのもののことです。
基本なら出来てるはず、と私は高を括っていました。

ところが稽古をつけていただいた初日、
私の中で衝撃的なことが起こります。
「ひとつひとつの動作が雑で、心が入っていない…」
27年も茶道を続けてきたので身体は覚えている。
なぜなら身体が勝手に動くからです。
でもあまりにも雑で基本が出来ていなかったのです。
新しい先生とそのお弟子さんを前にして、
とても情けない思いをしました。

もう一度言いますが、
「私は基本の動作が出来ていない」
ということがはっきりとわかると同時に
わかっていたつもり、が見えてしまったのでした。

うまく言えないのですが、
長年かけて一から十まで習い、
わかっていたつもりだった動作と心の置き所が
この瞬間全く入れ替わったといいましょうか。
自分の無知や未熟さを身に染みて実感した
という感覚でした。
身体と心を通してそのことに気づきました。

不思議なことにショックの後は、
これまで見えていなかった細部が見え始め、
真新しい自分が出現したような感覚が起こりました。
あれ? 私、生まれ変わった?
と感じたほどです。笑

ここでようやく冒頭に書かせていただいた
千利休の教えにつながるのですが、
稽古というものは、一から始めて十まで習い、
再び一から改めて習っていくことで、
以前には分からなかったものが見えてくる、
そしてより本質に近付けるのだということ。
「ここまで」と思った人の進歩は
それで止まってしまう。

深いな、と感じます。

さて、今は以前にも増して
茶の「道」が楽しくてたまりません。
最初に学んだ時には気がつかなかった
ことに気付けたり、
見るもの聞くもの感じるもの全てが
新しくて感動的なのです。
「道」の世界は終わりがなく、
初心で一から十を繰り返していくことの大切さと
楽しさと感動を味わっています。
恩師がつなげてくれた今の先生との
ご縁にも感謝の日々です。

道は続きます。

追伸
私にとってコーアクティブを生きることも
深くて遠い「道」だと感じています。
喜びも響きも悔しさもカオスも全てが愛おしく
でも時にはめんどくさい、
そんなコーアクティブ道に
魅了され続けて15年になりました。

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