ウエイクアップの池田佐佳子(さよこ)です。
いつもはCTIのコーチングコースや
企業でのコーチングコースといった
様々なプログラムのリードをしています。
今回は「NCRWと無責任の関係性」について
書いてみようと思います。
というのも、友人から
「他者にはNCRWで関われるけど、
子どもにNCRWで関わるのって、親として
無責任な感じがしないか?」と聞かれたからです。
ちなみにNCRWとは、
「People are Naturally Creative, Resourceful and Whole/
人はもともと創造力と才知にあふれ、
欠けるところのない存在である」という
CTIのコーアクティブ・モデルを構成する
“4つの礎”と呼ばれるものの1つで、
人をどう見るかという人間観でもあります。
CTIでコーチングの基礎コースを受講した日、
NCRWは正直ピンときませんでした。
なぜなら当時の私の価値観で
「創造力と才知にあふれ」という
言葉の解釈は「天才的な人」であり、
「欠けるところのない存在」とは
「雲の上の人/地球上には存在せず」
だったからです。
しかしNCRWに出会って15年が経ち、
日々コーチングを実践するなかで、
いま時点での私の解釈は、
「人は、その人として生きていく力を持っている」
というものになっています。
ただ一方で、
我が子には手放しにそうは思えない
「この子にはこの子の生き方があって、
生きる力を持っているんだ」なんてのは綺麗ごとだ。
だから、
「本当にしたい事をさせる、やりたい事をやらせる」
というのは親として無責任じゃないか、
という考えも出てきます。
ここでまず指摘したいのは、
NCRWという人間観で相手を見るというのは、
お茶をすすりながら「いいねぇ、頑張れ」と
相手を温かく遠くで眺めているのとは
全く違う、ということです。
そして更なる指摘は、我が子を
完全に一人の人間として見れていますか?
ということです。
私は無理です。
我が子をまだ完全に一人の個性を持った
人間として見るには、あまりに彼女が
精神的にも経済的にも自立出来ていないからです。
娘のことを褒められているのに、なぜか私が
「いや〜そんなことないですよ〜」
と照れている時点で
「子=親」の構造が息づいているのです。
だから親は子に色々教えます。あーしろ、こーしろ
と、うるさく意見を言います。(ほぼ押し付け?)
それは親がどの瞬間も子を見守り
サポートし続けることが出来ないからです。
そして我が子が悲しい思いや辛い経験をすることは、
自分にとっても悲しくて辛い経験になるから、
そうならない為に必死に指導します。
ただ、そうやって子どもに関わっている
日々の中でNCRWに意識が向くとどうでしょう?
この子は私とは違う人間で、この子には
この子の“生きていく力”があって、
それを試したくて生まれてきた。
そうやって見てみると、驚きがありませんか?
我が子と言えど、自分とは違う
気質だし思考だし感覚を持っている
別の人間だからです。
しかも生まれ育った時代が違いますよね。
学校教育も変化しました。
親世代とはインプットが違うのですから、
彼らからのアウトプットが違うのも当然でしょう。
親が子に口うるさくなってしまうのは当然のこと。
ただ年齢を重ねていくと彼らの経験値も上がってきて、
生き抜くスキルも徐々に身に着けてきます。
少しずつNCRWの眼差しを増やしながら、
子どもが自走していけるよう関わっていきたいものです。
【おまけトーク】
私は四十になる1週間前に親になったので、
子どもが小学校から持って帰るプリントを見る度
驚きを隠せません。
ジェンダー、LGBTQ、SDGs・・・
私が小学生の時には無かった概念ばかりです。
親と子の常識も価値観も違って当たり前ですね。
※NCRWについてCTIジャパンのファカルティが語っている動画はこちら