対話という名の闘争、そして逃走

ウエイクアップの山田希です。

5月だったか6月だったか、
とあるミーティングで私は、
「私は家でゴ●●●とも対話している。
 対話をしたら出てこなくなった。
 彼らは話を聴いてくれるのだ」
とやや自慢げに話をしました。

ところが
確かその話をした舌の根も乾かぬうち、
6月末の猛暑のころ、
黒い彼らが現れたのでありました。
しかも3匹も立て続けに。

入居以来の出来事に大いにショックを受けた私。
自慢なんかするもんじゃない、と
反省した効果があったのか、その後は
一切現れず、彼らとは平和的共存が
続いています(出現した3匹には室外に退去いただきました)。

しかし、あれは、何であったのか?

行動と学習を標榜する当社の
コーアクティブの教えに則り、
私は振り返りをしました。
そして、対話、と言いながら、
私がやっていたのは、
一方的宣戦布告&条件付き停戦の通知
であったかもしれない、と思い至りました。
君たちとは共存できない。ただし
目の前に姿を現さずにいてくれたら、
存在は許すよ、という
こちらの勝手な宣言です。

彼らがそれを理解したのか、
何だか変な人間が入居してきたから
そっとしておこうと思ってくれたのか、
真相は分かりませんが、表面的には
共存は成り立ってきていました。
ですがそれは対話の結果ではなく、
ただの棲み分けです。

むろん生物の世界は捕食者と被捕食者が居て、
相容れない相手であっても棲み分けによって
上手に生息環境を確保しています。
それだって立派な生存戦略なのですが、
それならそれでそう言えば良かったものを、
下手に「対話です」などと
嘯いてしまったがために、「違うだろ」
ということで登場したのかもしれません
(暑くて迷い出てきただけかもしれませんが)。

対話は、ある程度その相手と向き合うことを余儀なくされます。
その体力がない時もあれば、その準備が出来ていないときもあります。

私の彼らへの態度はまさに
受け入れがたいものに出会った者の
闘争・逃走反応であったわけで、
ちっとも向き合いきれておらず、また
その覚悟もなかったわけですが、
それを教えてくれるために
3匹の使者が遣わされたのかもしれない、
と思うに至りました。

もしかして普段の生活でも同じことをやってたりしないかしら?
ヒヤリとしたものを感じつつ過ごす猛暑の夏です。

SNSでもご購読できます。

コメントを残す

*

CAPTCHA