こんにちは、
ウエイクアップ・伴想人のはまチャン(濵田 豊作)です。
「自分らしさとどう付き合うの?」というお話を
やや迷走しながらお届けします。
コーチングって言葉を初めて聞いたのは1990年代後半。
当時、経営企画部で「風通しの良い会社」作りに
関わっていました。
同僚が「コーチングが役に立ちそう!」と言って、
外部セミナに参加。でも私は、忙しさを言い訳に、
「終わったらエッセンス教えてね」とスルー。
それから約20年が経ち、会社の現役生活を終えた頃、
ひょんなことからWAKE UP社の某嬢と再会。
そして、「エグゼクティブ・メンタリング」による
人財応援プロジェクト構想、今の伴想人活動に誘われ、
コーチングの学習を勧められました。
「えっ? 今更?」と思いましたが、
好奇心に背を押され、周囲の仲間に励まされ、
何とか必要ミニマム(?)を修了。
現在、更なる活躍に挑む女性の方々とメンタリングや
ワークショップで心弾む時間をご一緒しています。
そして私自身、メンティーの心の響きを懸命に感じ取り、
どこまで伴想/伴走/伴奏/伴創できるかにチャレンジ
しています。
そして更に、
「大切にしたいモノは何? 人生をどう生きぬくの?」
などと自分に問いかけている自分にも
改めて気付かされています。(副反応?)
自分の心の中は、錯綜するいろんな思いの巣窟であり、
裏目標と固定観念の陳列台の様相ですが、
それでも、それら全てが愛すべき「自分らしさ」であり、
「自分らしさ」発揮の原点だと思います。
良寛和尚、心の優しさと厳しさを併せ持つ和尚の歌に
「心こそ 心惑わす心なれ 心の駒の 手綱許すな」
があります。
(「駒」は「暴れ馬」、「許すな」は「放すな」です)
大好きな歌です。背筋をピンと伸ばしてくれますね。
「自分らしさ」の確保や、Do the right thingの実行を
支えてくれるメッセージと思います。
さて、かなりエラそうなことを述べて参りましたが、
「肩の力を抜く」系の自分らしさにも心惹かれます。
釈迦や孔子やソクラテスは、既に紀元前5~6世紀の頃、
「生きるとは?」などの人生の命題についての
教えを説いています(正しくは、いるそうです)。
でも、私たちは今も相変わらず同じ命題に思案を巡らし、
いろんな事に心を悩ませています。
我ら人類は思考の発展や止揚を遺伝子化できていません。
人間の(少なくとも)累積人数分だけ「悩みファイル」が
積みあがっています。
(だから、コーチングが在る? 要る? これからも)
実に、難儀です。
ですから、古今東西、誰もがみんな似たような
思いや悩みを抱えて生きてきたんや!
私もその一人! 私、フツー! と思うのは
道理に適っていると思いませんか。
大喜びしたり、大泣きしたり、在りのままを表すことは
自分らしくであり、とっても素敵だと思います。
確かめよう、自分らしさです。
「心の駒」も時には“放牧可能地域内”での
放し飼いが必要と(勝手に)思っています。
何だか話がやはり迷走状態に陥っておりますが、
これからも、自分らしい伴想人として歩んでいきたいなと
思う次第です。
(蛮走人にならぬように自戒しながら……)