ウエイクアップ「伴想人」メンバーの
オグこと小串記代です。
私は家の中では“しゃべくり族”と呼ばれています。
去年中国で話題になった“寝そべり族”を
もじったようです。
昨今人とのかかわりの絶対量が少なくなったのか、
マスク下の顔のたるみを恐れているのか、
しゃべくっているようです。
そして、しゃべくり族の操る道具は言葉です。
そんな折、言葉について考えさせられた
ことがありました。
私たち人間は言葉を通して考え、意味の共有を期待します。
言葉があるから、他者との関係性が進みます。
同時に、意味を伝えるだけでは、人の心を動かせない、
心を動かす言葉の底には、
自分の語る言葉を信じる強さがあるということにも
気づいています。
言葉の力を支えているものの大切さです。
私は毎朝近所を散歩することを習慣にしています。
その散歩道で、いつも子犬を連れてじっと立っている
初老の男性に会います。
白いマルチーズの愛らしい子犬を連れています。
近くには小学校があり、たくさんの小学生が通る道です。
楽しそうに歩く子供、下を向いて元気のなさそうな子供、
さまざまな様子の子供たちが通っていきます。
子供たちは子犬をひと撫でして話しかけ、
通りすぎていきます。
見ていると、男性は、元気のなさそうな子供には、
「やあ、おはよう。いってらっしゃい」と
声をかけながら、そっと子犬を近づけます。
子供は子犬のつぶらな瞳に見つめられ、
一瞬明るい笑顔になります。
男性は、学校のある日は、晴れの日も雨の日も
毎朝その通学路に立っています。
私の想像は広がります。
この男性は元気のない子供が子犬を見つめると
温かい心に変わる瞬間を信じているのだろう。
そして、みんながそうではないことも知っている。
でも、一人でも元気づけられたらと思い
毎日この場所に立つことを決めた
心意気、決意がある。
どんな言葉より、元気のない子供の気持ちを
和ませると信じているからこそ、
毎日立ち続けるのかな、と。
「おはよう、いってらっしゃい」
という言葉の背後には、こんな男性の思いが
詰まっているように思えてなりません。
それは、
相手に心を寄せること
信じたことをやり続ける強い心
組織の中でも同じです。
言葉は思考を刺激し、新たな行動を喚起する
力をもっています。
発する言葉は、そのまま他者に伝わるとは限りません。
ものの見方、考え方、思考のプロセスは
各々異なるからです。
同時に、意味を伝えるだけでは、人の心は動きません。
人には感情があり気持ちがあります。
「本当にそう信じているのか」
「最後まで責任を持つ覚悟はあるのか」
聞き手は無言の質問をもって受け止めます。
心を動かす言葉の底には、
自分の語る言葉を信じる強さを感じます。
強さと同時に他者の痛みを理解するような連帯感、
人間を理解しようとする姿勢、心を寄せる気持ちが
言葉を生かすのではないでしょうか。
こんな思いが言葉の力を支える姿勢に思えます。
伴想人は、次世代の経営を担う人をサポートし、
より一層元気にしたいと願っています。
その時々に心を寄せて、
そこから自ずと出る言葉を大切にしています。
お互いに、人として充たされた一歩を進められるように、
共に歩んでいく気持ちを大切にしていきます。
少し、しゃべくり過ぎましたか・・・。(反省)