こんにちは。
ウエイクアップ CTIジャパン
コーアクティブ・リーダーシップ・プログラムの
リーダーの山田博です。
東京オリンピックが終わりました。
開催自体に様々な意見がありましたが、
スポーツという世界はリーダーシップというものが
如実に現れるものだと改めて感じる場面が
たくさんありました。
中でも印象に強く残ったのは、サッカー3位決定戦で
メキシコに3−1で敗れた後、
ピッチで泣きじゃくる久保選手の姿でした。
あの姿から感じるものは人によって違うとは思いますが、
私はなぜか心の奥の方を鷲掴みにされました。
久しぶりにあんなに激しく泣く人を見ました。
それはいいとか悪いとかという頭の判断ではなく、
純粋でむき出しのものに触れたなんともいえない感覚でした。
彼は「サッカーをやっていてこんなに悔しかったことはない」
とインタビューで話してまた涙ぐんでいました。
それほどの悔しさ、激しい感情が心の底から湧き上がり、
それに身を任せて周囲の目も気にせず
その姿をさらけ出せるだろうか。
私は「最近泣いてないなぁ」と自分自身に
重ね合わせながら、その姿に見入っていました。
リーダーシップというのは、その人の全存在、
そのまま、ありのまま、
何か別のものになろうと頑張っているのではない、
その人そのものから発する影響力だと私は思います。
ある状況があって、常識や過去の経験から
そうした方がいいだろうと誰もが思うことを
正論として語られても、心が動かないのは
なぜでしょうか。
私も新米マネジャーの頃、会社の方針をもとに
自部署のビジョンをさんざん考えてひねり出し、
部下に話して全く響かなかった苦い経験があります。
なぜ響かなかったか。
そこには自分という人間の思い、
こだわり、夢、苦しみ、喜びといった、
生々しい熱がこもっていなかったからだと思います。
情熱的に語れば通じる、ということを
言いたいわけではありません。
人の心が動くのは、自分の行動、態度の中に、
飾らないそのままの自分が表れているかどうかによる、
と思うのです。
仕事に感情を持ち込むな、と若いころ言われました。
ビジネスとはそういうものか、と20代は感情を殺して
ひたすら結果を追い求めました。
30に近くなって、それがなんとも味気なくて
知らず知らずに自分の個性を見失わせていたのだと
気づかされました。
自然界を見れば、全ての存在が影響を与え合いながら
動的に絡まりあっています。
山でも海でも都会でも、その相互依存性が
生命持続の鍵です。
相互に影響をし合うには、それぞれの存在が
そのままのユニークさであることが必要です。
セミはセミであり、生きている間ひたすら鳴き続けます。
人間の赤ちゃんも激しく泣きます。久保選手も。
かなり飛躍した感じもしますが、
ただただそのままの姿であることで
与えあう影響の中から生まれるものが、
不透明で複雑な時代に求められるリーダーシップ
だと思うのです。