アタマの理解とカラダの感覚

こんにちは
ウエイクアップの島村仗志です。

先週、大きな地震がありましたね。
直接或いは間接に被害や影響を受けられた方々に、
心からのお見舞いを申し上げます。

あの地震の瞬間、本棚が倒れてこないよう、
人一倍硬いカラダを精一杯伸ばしながら、
ふと、あることを観じていました。

あー、ここでもっと強い揺れに見舞われたら、
自分の命はもちろんのこと、日頃から大切だと想って
いることなど、全てひとたまりもなく
崩れていくなあ、という、リアルな感覚です。

そして、地震の強さはまさしくその典型的な例ですが、
こうした決定的な出来事は、自分のチカラが
全く及ばないところで起きることで、それは
いつ起きても全くおかしくない。
そんな世界に自分はこの身を置いている。
そのことを、あの瞬間に体感したのです。

人の世の儚さや諸行無常について、
アタマでは十分理解をしていたつもりです。
そしてこれまでに何度か健康を害してしまった経験からも、
自分の命に限りがあることは、まさに痛いほど、
理解していたはずでした。

しかし今回の地震は、こうした
アタマの理解を超えたカラダの感覚として、
ウエイクアップコールのように、
私を呼び覚ます機会になりました。

そのカラダの感覚からすると、
「いつ死んでもいい」
という在り方や生き方は、一見望ましいようで、
実は傲慢な姿勢であったように想います。

それよりも、
「今日もこうして生かされている。(それだけで十分)有難い。」

この姿勢こそ、今の自分にとって必要な
在り方や生き方であると、
今回体験できたカラダの感覚を起点に、
アタマの理解を書き換えができたと想います。
まさにバージョンアップですねw

喉元過ぎれば何とやら、で、
この気づきもまた、近い将来には薄れていってしまう
ものなのかもしれませんが、
そんな未来の自分の可能性にも許可を出しつつ、
こうしたカラダの感覚を、日々しっかりとキャッチできる、
目覚めた状態の自分を育んでいきたいと想います。

今回も最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

SNSでもご購読できます。

コメントを残す

*

CAPTCHA