ウエイクアップ組織変容®コーチの
木村史子です。
ビジョンと聞いて、あなたは
どんなことをイメージしますか?
未来を展望する新しい将来像や理想、
目指すべきもの。
会社の偉い人たちが決めるもの。
ちょっと小難しいような、
長い時間をかけて決めていかなければ
ならないような、そんなイメージを
持つ方が多いのではないでしょうか。
「あなたのビジョンは?」
と聞かれたら、なんだか困ってしまうし、
人様に話せるようなものではないと
ちょっと気恥ずかしい気持ちになる方も
いるでしょう。
ここ最近、いくつかの企業で
立てつづけに個人のビジョンを扱う
ワークショップを実施しました。
ここでいうビジョンとは、ビジョンを
“what I want”(私が願うもの)
として扱い、ありありとイメージする
エクササイズを行います。
個人が申し込まれるワークショップで
このエクササイズを実施する時、
活き活きと楽しそうに
ご自身のビジョンをイメージし、
それを語られる方が多いのです。
一方で、企業で実施すると、
とても話しにくそうにしている姿を
よく見かけます。
そんな時私が思い出したのは、
組織変容®コーチとして、対象組織の
皆さんお一人お一人に対して、
個別にインタビューした時のことでした。
ある組織では、「言ったもん負け」
という言葉が多く聞かれました。
「『〜の方がいい』『〜したい』と
発言した途端、
『じゃ、それやって。あなたがやりたい
と言い出したのでしょう?』と、
それが自分の仕事になってしまう。
だから、なかなか業務改善や、
今後どうしたいかについて意見が言えない」
と話す方が多くいらっしゃいました。
そんなことも、組織の中で
個人のビジョンを語りにくい
ひとつの理由なのかもしれません。
また、常に評価の目にさらされている
組織の中では
「『そんなことできもしないくせに』
『一体どうやって実現するの?』と
言われてしまうのではないか」
という心配も、組織の中で
“what I want”(私が願うもの)を
話しにくくなってしまう理由の一つ
でしょう。
そんな時、私たちは
「できることを願うべきである」
という呪いにかかっていると思います。
「できないことを願うべきでない」
という悲しい呪いです。
誰もが子どもの頃は、「何がしたい?」
「何になりたい?」と問われたら、
できるかどうかは関係なく
無邪気に答えられたはずなのに。
大人になるにつれ、
組織の中で働くにつれ、
自分にそんな呪いをかけている。
それを思うと、
胸が締め付けられる思いです。
ピーター・M・センゲのメンター
でもあったロバート・フリッツは、
「ビジョンがなんであるかではない。
ビジョンが何をするかということなんだ。
(It’s not what the vision is.
It’s what the vision does.)」
と伝えてくれています。
どんなビジョンでも構わないのです。
それが実現の可能性があるかどうか、
自分がやり方を知っているかどうか
を棚に上げて、
「本当に欲しいもの、欲しい世界」を
人が描くとき、そこに向かいたいという
エネルギーがわき上がるのですから。
誰もが無邪気に自分のビジョン
“what I want”(私が願うもの)を
語れる組織が増えること、
それが私のビジョンです。